ゴースト・スナイパー ジェフリー・ディーバー

 おそるおそる

 どんどん普通のお話になっていく。
 リンカーン・ライムは『ボーン・コレクター』では首から下は完全に麻痺した究極の肘掛椅子探偵だったのに、今や手術とリハビリの甲斐あって、片手でウィスキーグラスを持ち、車椅子を操っての海外捜査や、銃まで使用する(失敗したが)ようになった。つまり、エッジの部分が削れて丸くなり、普通の警察ミステリーになんていってるんだよなあ。そうした、展開をディーバーはおそるおそる書いているように思えてならない。
 つまり、2,000メートルという超絶な狙撃をやってのける凄腕(超人的)スナイパー、国家組織を裏切って内部情報をリークする正体不明のスパイ、貝印“旬”を操って巧みに調理し、かつ人体を切り刻むサイコパス、個性的な敵役を登場させ、さらに、おれの嫌いな、主人公の前に立ちふさがり足を引っ張る組織の人間関係という陳腐な展開、そして、主人公のフィジカルな危機。これだけ、そろえておけば、鈍磨したエッジの代わりにならないかしらという空気感なのだ。
 冒頭、反米活動家が狙撃され殺害されるシーンは、充分に魅力的で後の展開を期待させる。2,000メートルの距離からの狙撃でターゲットは即死、同じ部屋にいたボディガードと取材中のジャーナリストもとばっちりで死亡した。しかし、そこからの展開がなんともぬるい。大体事件が起こったのがバハマだから、ライムの十八番「現場検証」が出来ないのだ。それでも、話は転がっていくし、後半に至ればディーバーの真骨頂のどんでん返しが愉しめる。
 実は冒頭の狙撃がそもそも曲者だった。このシチュエーションは某著名作家の某ミステリと全く同じなのだ。ところが、その作品の場合、おれには作者のたくらみが瞬時に分かってしまい、ラストまで壮大な寄り道を食わされたような気分になった。ミステリと縁のない方がよく嬉々として「途中で真相に気が付いた」なんて書き方をするけど、それは大嘘で、気持ちよく騙してくれなければ、ミステリの意味はない。『ゴースト・スナイパー』も同じトリックなのにぜんぜんそっちの方に考えが及ばなかったのは2,000メートル狙撃という大技に目が行っていたからだろう。でも、やられたという気分ではない。おや、またやってらあ、くらいかな。
 人間関係のゴタゴタも気に障る前に解決し、サックスのフィジカルな危機も最後には収まった。でも、この作品の一番のミスディレクションはタイトルの“The Kill Room”なんだよね。この意外性が物理的なトリックだけど目新しかった。だから、邦題の『ゴースト・スナイパー』というのは陳腐な上に、このミスディレクションをネグっていていただけないんだよなあ。
 しかも、ある意味ネタバラシなんだよね。
 書評は概ね好評のようだが、ディーバーは次はどんな手を打ってくるんだろう。