さらば愛しきサスペンス映画

三人旅の一人乞食

さらば愛しきサスペンス映画

さらば愛しきサスペンス映画

 

  こういう「本物」の方の言葉って重みもあるし面白いし、日頃ネット上の駄文(含む自嘲)ばかり目にしている身にとっては陳腐ながら「一服の清涼剤」のような本であります。

 お二方とも今や本邦最高レベルの映画批評家であると同時に(ここが重要)映画ファンなのであります。だから面白くなかろうはずがないと読みだしたのでありますが。

 ネットを含め無知なライターの出鱈目な映画紹介や評論を読まされたときは、大げさではなく怒り心頭に発するおれですが、このお二人の対談ならそんな目に遭いっこない。それは当然です。まあ、なんと博覧強記な映画マニアでありましょうかと、感心感動して読んでいたのは、実は冒頭の数ページまで。

 気が付けばどんどん置いていかれるおれがいる。

 ラマヌジャンポアンカレの数学対談を読んでいるみたいと言ったら言い過ぎか知らん。「ああ、この映画見た」「ああ、知ってるけど見てない」「知らない」なんてレベルではない。知らない映画題名がどんどん出てきて、しかも、それに係るキャストやスタッフやエピソードがどんどんおっ被さって。まあよくもこれだけ映画を見て内容を覚えていて、しかも配役から脚本から監督から――

 知らない、知ってるという次元でないところが恐ろしい。まさか「サスペンス映画」の世界でこんな思をしようとは。

「三人旅の一人乞食」とはこのことです。あ、もちろんおれが乞食――

 おれは映画秘宝のライターが書き散らすいい湯加減の映画話がお似合いなのかなと、今更悟ったという、情けないお話でありました。

 

 

 

 

 

映画秘宝 2021年4月号 [雑誌]

映画秘宝 2021年4月号 [雑誌]

  • 発売日: 2021/02/20
  • メディア: 雑誌
 

 

プロレス取調室 玉袋筋太郎

自分語りの嘘八百

抱腹絶倒!! プロレス取調室 ~昭和レスラー夢のオールスター編~

抱腹絶倒!! プロレス取調室 ~昭和レスラー夢のオールスター編~

 登場いたしますレスラーは、
 藤原喜明渕正信藤波辰爾天龍源一郎グレート小鹿木村健悟越中詩郎グラン浜田将軍KYワカマツ鶴見五郎

 呑屋の馬鹿話の定番に悪口というのがある。共通の知人の悪口は美味しい肴であることは間違いない。日頃親しそうにしている人間をボロカスにけなし、曰く「いないのが悪い」というやつだ。取り調べ場所は居酒屋(加賀屋)で取り調べ担当は玉ちゃん以外にライターの堀江ガンツ構成作家椎名基樹。この二人、流石に博識でツッコミも達者だけど、ゲストから話を引き出すのにはあまり役に立ってなくて、自分たちだけで盛り上がる傾向がある。だから、多少苛つかせるのだよなあ。実際、今回の一番面白いのは意外や鶴見五郎で、鶴見はこの二人の妨害にもめげず、自分からどんどん話題を盛り上げている。アフロヘアーのヒールというイメージしかなかったのでこれには驚いた。因みに東海大学理学部物理学科卒なんですと。
 おれの拙い人生経験から言えることは、自分語りの八割は嘘だということだ。無論結果まで嘘を付くのは詐欺師だが、その結果に関して自分がどう関与したかなんて、後からなら何だって言える。力及ばずに挫折したことを、興味が失せてぶん投げたという類だ。結果は「失敗」であることは同じにしても。
 その嘘(というかほら話)を突っ込みもせずに凄え凄えとヨイショするのはいつものパターン。その最たるものは木村健悟

木村 それでロスでは田吾作スタイルだったけど、その後、メキシコに行っても、メキシコのスタイルにあわせなかったから、それで天然のヒールになっちまったんだよ。
ガンツ もの凄いヒートを買うヒールだったらしいですね?
木村 いや、自分ではヒールのつもりはないんだけどね。俺はただ、アントニオ猪木の看板を背負ってるから、「レスリングっていうのはこういうもんだ」って貫いただけで。
ガンツ ガチガチに猪木イズムを貫いたわけですね。
玉袋 カッコいいなあ〜
木村 だから、向こうにエル・サントっていたでしょ?
玉袋 おお、エル・サント
木村 何か訳のわかんないクソジジイ!
玉袋 ワハハハハッ!

 と持ち上げておいて、鶴見五郎とはこんな会話をする。

鶴見 そこに木村健悟がいたんだけど、ヤツは現地で評判悪いんだよ。
椎名 評判が悪い!(笑)。どう悪かったんですか?
鶴見 向こうのトップとレフェリーが、「あいつはダメだよ。試合も良くないし」って言うから、「な何で?」って聞いたら、「あいつは人の技を全然受けない。自分のやりたいことだけやって」ってね。
玉袋 ダメだよ。それをやっちゃ。
鶴見 俺も「ヨーロッパでそんなことをやってもダメだよ」って言ったんだけど、「俺は新日本のスタイルだから」って、聞かないんだよ。
椎名 メキシコ時代もそうだったって言ってましたよ。それで、エル・サントに対して「クソジジイ」って言ってて。
鶴見 あいつはね、弱きに強いんだよ。
玉袋 出ました(笑)。

 そして、ここからはまさに「いないのが悪い」とばかり木村を腐しまくる。それが面白くないわけがない。

 藤原、藤波、天龍なんてメインエベンターの話は意外に面白くない。逆に狂人、将軍KYワカマツの淡々とした普通の話が面白いんだよねえ。全部読み通すと、総じて評判が悪いのは、グレート草津、カブキ、グラン浜田(本編にも登場するのに)といった面々。そんなこと、傍から見ているだけでは全然分からないからへえと感心するばかり。
 なにより驚いたのは、渕正信が拓大の柔道日本一岩釣兼生とスパーした時のエピソードだ。あの「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」特に漫画版では殴り込みをかけてきたみたいなセンセーショナルな展開だったが、淵は気負わずにスパーして引き分け、そのあと岩釣はコシロ・バジリ(後のアイアン・シーク)とスパーして関節を何本か極められたという。しかも、そこには馬場だけではなくジャンボ鶴田もいたというのだから、殴り込みなんか出来るわけがない。そして、こうした話にはなんか信憑性を感じてしまうのだな。
 まあ、全部ウソだとしてもコレだけ愉快な法螺話が聞けるなら、それはそれでいいんじゃないかな。ということで。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 

英国諜報員アシェンデン サマセット・モーム

スパイの小説

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

 あのサマセット・モームの、スパイ小説として知らぬ者はいないだろうという名作。しかし、実際に読んだ方は意外に少ないのではないか。おれはガキの頃(高校生)EQMM中村真一郎が本書について妙な書き方をしているのに興味を惹かれて読んでみたのだが、すぐに挫折した。中村は冒頭、こんなことを書いていた。

 サマセット・モームの『アシェンデン』はスパイ小説である。――ということになっている。
 しかし、あれはスパイの小説ではあるが、「スパイ小説」ではない。

※収録本『決定版深夜の散歩』講談社 1978 P.177
 なんのこっちゃと思いながら、読み始めたのだが、本当に主人公はスパイだが、スパイらしい活躍もサスペンスも、当然ながらアクションもなにもない小説。なるほどこれが純文学ってやつかと、早々に投げ出した。思えば不幸な出会いであった。
 それを今回読み直したのは、毎度のことながら、我が敬愛する田中小実昌のこんな一文に触れたからである。

 サマーセット・モームに「アシェンデン」というスパイ短編集がある。スパイ小説だが、実に日常的で、そのため、かえってシニカルで、ほんとのスパイらしい人物が書いてあり、ぼくは大好きなスパイ小説だが、このなかに、「ヘアーレス・メキシカン」という短編がある。
 メキシコ人らしい底抜けに陽気な男で、あきれるほど酒を飲み、女にモテ、精力絶倫で、もとはメキシコの将軍だったというふれこみで、堂々としており、その偉風(ママ)におされて、鉄道の駅の駅長が、彼のために、列車を待たせておいたりする。(このあたり、ぼくの記憶違いかもしれないが)
 じつは、この男は殺し屋なのだ。こんな殺し屋は、ほかのひとの小説では見たことがない。ぼくが、「アシェンデン」が好きなのも、おわかりになるとおもう。

『コミマサ・ロードショー』田中小実昌 晶文社 1980
 なんとも魅力的な紹介ではあるまいか。実はこのヘアーレス・メキシカン、文字通り体に毛が一本もないスカル・マーフィーみたいな男で、それが俗称になっているのだ。前回読んだときには、当然「ヘアーレス・メキシカン」の手前で放棄した。これを読み直さないでおられようか。
 あ、ところで、小実昌さんの文章を読んでヘアーレス・メキシカンにどんなイメージを抱きました? おれは禿頭の肥大漢、パンチョ・ビラを彷彿とさせる陽気で残酷な男でバンバンピストルを撃ちまくる。
 ところが、大いなる勘違いが二つ有った。
 一つはこの『アシェンデン(主人公の名前)』短編集と紹介されているが、全編を貫く漠然としたストーリーの流れが存在する、いわば連作短編集。つまり『ヘアーレス・メキシカン』だけ読んだらわからない処だらけという状態になってしまう。目次を見ると、ちゃんと第一章から第十六章になっていて、長編の形式をとっている。『ヘアーレス・メキシカン』は第四章なので順次読み進めていったのだが――
 もう一つの勘違いはすぐに分かる。ヘアーレス・メキシカンは想像していたのとは全く違ったイメージの人物。背が高く痩せていて、とてもお洒落でマニュキュアをし香水の匂いを漂わせている。しかも、カツラを被っていて禿頭ですらないのだ。マカロニ・ウエスタンに登場するガハハ山賊みたいな人間を想像していたおれは拍子抜けした気分だった。
 しかし、読み進めていくうちに、おれは中村真一郎田中小実昌が言いたかったことがすんなり理解出来た。各章は短編形式だが、全体のストーリーに全く貢献しない物語もあるし、独立した中編もある。謎やどんでん返しで引っ張るような物語とはぜんぜん違う。絵に描いたような英国紳士で大使閣下のハーバート・ウィザースプーン卿が凄まじい過去を告白するエピソード、極秘の情報を得ながら遂に語ること無くアシェンデンの腕の中で息絶える老婦人ミス・キング。そんなエピソードの積み重ねは小実昌さんが言う通り「実に日常的で、そのため、かえってシニカル」なのでありますね。そして、ラストの哀しいくらいおかしな(バカバカしいと言ってもいい)、ある人物の死はこの小説の終わりに誠に相応しいものでした。
 さすがだね、モーム

 

ゴースト・スナイパー ジェフリー・ディーバー

 おそるおそる

 どんどん普通のお話になっていく。
 リンカーン・ライムは『ボーン・コレクター』では首から下は完全に麻痺した究極の肘掛椅子探偵だったのに、今や手術とリハビリの甲斐あって、片手でウィスキーグラスを持ち、車椅子を操っての海外捜査や、銃まで使用する(失敗したが)ようになった。つまり、エッジの部分が削れて丸くなり、普通の警察ミステリーになんていってるんだよなあ。そうした、展開をディーバーはおそるおそる書いているように思えてならない。
 つまり、2,000メートルという超絶な狙撃をやってのける凄腕(超人的)スナイパー、国家組織を裏切って内部情報をリークする正体不明のスパイ、貝印“旬”を操って巧みに調理し、かつ人体を切り刻むサイコパス、個性的な敵役を登場させ、さらに、おれの嫌いな、主人公の前に立ちふさがり足を引っ張る組織の人間関係という陳腐な展開、そして、主人公のフィジカルな危機。これだけ、そろえておけば、鈍磨したエッジの代わりにならないかしらという空気感なのだ。
 冒頭、反米活動家が狙撃され殺害されるシーンは、充分に魅力的で後の展開を期待させる。2,000メートルの距離からの狙撃でターゲットは即死、同じ部屋にいたボディガードと取材中のジャーナリストもとばっちりで死亡した。しかし、そこからの展開がなんともぬるい。大体事件が起こったのがバハマだから、ライムの十八番「現場検証」が出来ないのだ。それでも、話は転がっていくし、後半に至ればディーバーの真骨頂のどんでん返しが愉しめる。
 実は冒頭の狙撃がそもそも曲者だった。このシチュエーションは某著名作家の某ミステリと全く同じなのだ。ところが、その作品の場合、おれには作者のたくらみが瞬時に分かってしまい、ラストまで壮大な寄り道を食わされたような気分になった。ミステリと縁のない方がよく嬉々として「途中で真相に気が付いた」なんて書き方をするけど、それは大嘘で、気持ちよく騙してくれなければ、ミステリの意味はない。『ゴースト・スナイパー』も同じトリックなのにぜんぜんそっちの方に考えが及ばなかったのは2,000メートル狙撃という大技に目が行っていたからだろう。でも、やられたという気分ではない。おや、またやってらあ、くらいかな。
 人間関係のゴタゴタも気に障る前に解決し、サックスのフィジカルな危機も最後には収まった。でも、この作品の一番のミスディレクションはタイトルの“The Kill Room”なんだよね。この意外性が物理的なトリックだけど目新しかった。だから、邦題の『ゴースト・スナイパー』というのは陳腐な上に、このミスディレクションをネグっていていただけないんだよなあ。
 しかも、ある意味ネタバラシなんだよね。
 書評は概ね好評のようだが、ディーバーは次はどんな手を打ってくるんだろう。
 

フロスト始末 R・D・ウィングフィールド

嫌いなものが勢揃い

 更新をサボっていたら、年をまたいでしまった。本当にみっともない。
 と言いつつも気を取り直して、フロストシリーズの最終話『フロスト 始末』を語るとしよう。原題は“A KILLING FROST”フロスト殺しって、まさか最終話であのフロストが――なんて話ではないからご安心いただきたい。でも、いうまでもなく本作は作者R・D・ウィングフィールドの遺作なんであります。つまり、永遠にお別れということは間違いない。
 最終話ではあるけれど、フロストは相変わらずスケベで下品で、マレット署長も相変わらず嫌な野郎で、そして、お約束の嫌な敵役も今回はジョン・スキナーというとびきり嫌なやつが登場する。と、ここまで書いてきてあれれと思うのですね。
 昨年の10月、おれは本ブログで『キリング・ゲーム』を取り上げたとき、嫌いなミステリの典型として横山秀夫作品やこの作品を挙げてこう書いている。

 本作でも、カーソンは周囲のゴタゴタにかき回される。上記の優秀なる監察医ドクター・クレアはカーソンの新しいガールフレンド、ウエンディ・ホリデイに嫉妬する。ウエンディはポリスアカデミーの学生で皮肉なことにカーソンの11歳年下。頼もしいチームの一員との関係が悪くなるのは読んでいて哀しくなってくる。いや、それより何より上司であるカールトン・パグス本部長(署長)から徹底的に憎まれて、休職処分にされてしまうあたりも、なんか取ってつけた「災厄」みたいでやり切れない。今回の犯人は異常な連続殺人鬼だけど、カーソンに直接危害を加える、つまり対峙するようなことはないのだ。

 そうなんだよなあ。周囲の人間関係に悩む主人公なんか、本来クソ食らえ(失礼)のはずなのに、フロストシーリーズの読者ならご承知の通り、フロストシリーズなんかもう全編上司(マレット署長)と其の手下(今回はスキナー主任警部)のネチネチした嫌がらせのオンパレード。なのに、それが全く気にならないのは、総て主人公フロストのふてぶてしいまでの強さのせいなんだろうだろう。カーリイ作品の主人公カーソン・ライーダーならぶち切れて、会議室の椅子の一つも叩き壊すだろうシチュエーションが続いても、フロストは蛙の面に水を装って(腹の中は煮えくり返っていても)スルーしてしまう。明らかに役者の違いを見せられれば、読者――少なくともおれはイライラしないのだ。
 実はそれだけではない。これまたフロストシリーズのパターンの「子供殺し」が今回も登場する。子供が被害者になるのは現実ばかりでなく、虚構の中でもタブーにしたいくらい嫌い(だから、ヒッチコックの『サボタージュ』もキングの『ミスト』も大嫌い)なのに、フロストシリーズでは悲惨だとは思っても、本を投げ捨てるような気分にはならないのだ。こちらは、フロストのキャラのおかげだけで片付く問題とは思えぬにせよ。
 今回もフロストはやぶれかぶれながらも期待に違わぬ活躍をして、事件は見事に解決する。このシリーズ全作、「このミス」海外部門第一位なんだよなあ。でも、もう新作は読めないんだよなあ。
 第一作から全作読み直すか。

キリング・ゲーム (文春文庫)

キリング・ゲーム (文春文庫)

サボタージュ [DVD]

サボタージュ [DVD]

ミスト (字幕版)

ミスト (字幕版)

獣どもの街 ジェームズ・エルロイ

 ジェームズ・ジョイスとジェームズ・エルロイ 日本語の頭韻

獣どもの街 (文春文庫)

獣どもの街 (文春文庫)

 エルロイが短編小説の名手でもあることは『ハリウッド・ノクターン』で明らかになったが、本作はちょっと毛色の変わった連作集になっている(文庫オリジナル)。エルロイの書く文章は、短く、直接的で、それが生み出すスピード感が凄まじい内容にマッチして、酔にも似た快感を与えてくれるのが特徴だ。『ハリウッド・ノクターン』の場合、疾走し過ぎて、これが長編としてじっくり書かれたらなあと思わせる作品があることは否めないのも事実だが。
 しかし、本書に収録された三篇では、この文体が短編に逆に厚みをもたせ、歯切れの良さを生む源となっている。主人公は悪徳警官のおれことリック・ジェンソンとマドンナ的存在の女優ドナ・W・ドナヒュー。大藪春彦の物語にカーター・ブラウンの小説の登場人物が飛び込んできたような“イカサマ感”が全編に横溢している。しかも、解説で杉江松恋が触れているように、短いセンテンス一つ一つに律儀に頭韻が仕込まれているのだ。翻訳はエルロイではお馴染みの田村義進だが、この駄洒落の羅列を無理なく日本語化しているのは、奇跡と言っていい。こうした語呂合わせを「訳注」で説明されながら読んだのでは、原作の持つ心地よいリズム感が台無しになるから、田村氏のやり方は本当にご苦労だけどベストのやり方なのだ。
 かつて翻訳家の別宮貞徳は某生物学の翻訳書の中にある、遺伝子について書かれた文章で、遺伝子のちょっとした組み合わせの違いで、バクテリアになったりラクダになったりするという言い方が、単なる洒落だと指摘した。つまり「BacteriaになったりBactria(フタコブラクダ)になったり」という語呂合わせ。別宮は原文の洒落を活かすなら「獏になったりテリアになったりバクテリアになったり」と試訳としている。この、註釈なしで原著のニュアンスを活かそうと試みた翻訳の労作に、柳瀬尚紀の『フィネガンズ・ウェイク』(ジェイムズ・ジョイス)がある。こちらは原著そのものが実験的な言葉遊びで綴られているため、それを日本語に落とし込んだ翻訳は大変に難解だ。原著も難解で知られた小説で、その難解さの一因がジョイスの造語だが、それを置き換えた日本語の造語が別の意味で難解な日本語にはなっている。しかし、それが同等の難解さなのかどうかは理解の範疇外だ。
 それとは別に柳瀬には特別な想い入れが二つある。一つはわが敬愛する筒井康隆との対談(『突然変異 幻語対談』)の中でこれまた敬愛する西脇順三郎の詩(『橋上』)を引いて筒井に素晴らしいと言わしめたこと(もっとも、素晴らしいが、それが物語ではなく詩であるということで、筒井は認めない)。もう一つは、柳瀬が『翻訳はいかにすべきか』の中で一つ勘違いをしている部分があり、それを出版社気付けの手紙で指摘したら、丁寧な礼状が返ってきたことである。
 

 閑話休題
 本作中一番のおすすめは「押し込み強姦魔」の一篇で、これはハードボイルドであると同時に、凄まじいバカミスになっている。確かに『LAコンフィデンシャル』のとてつもなく意外な犯人は、エルロイの本格ミステリ作家としての一面を如実に表していた。だから、とうぜんのことなのかも知れないけれど。

ハリウッド・ノクターン (文春文庫)

ハリウッド・ノクターン (文春文庫)

フィネガンズ・ウェイク〈1・2〉

フィネガンズ・ウェイク〈1・2〉

翻訳はいかにすべきか (岩波新書)

翻訳はいかにすべきか (岩波新書)

LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)

LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)

裸で困惑するということ

 フロイト夢判断実践

 フロイトは自著『夢判断』の中で定型夢というものを説いている。誰にでも覚えがあるであろう夢のパターンだ。周囲ががら空きで丸見えのトイレで用が足せない夢(足せたら大変)とか、試験が近いのに全く勉強していないで焦る夢、電車に乗り遅れたり、間違った電車に乗ってしまう夢。その中に裸で困惑する夢というものがある。
 雑踏の中でズボンを履き忘れたことに気付く、正装したのに靴ならぬスリッパを履いていたとか、面白いことに性的な夢の中で裸になって女性に近付こうとして、なかなか裸になれないで困惑するのとは正反対の感情だ。で。
 実はこの裸で困惑する夢を現実で体験してしまったのである。
 まさか全裸で歩き回ったわけではない。やってみたい気もするが寒すぎるし(そういう問題ではないぞ)。昨日、私鉄某駅の改札を入ったところ、向かいから歩いてきた、身長2メートルはあるだろうという黒人がいきなり、
「すみません」
 と話しかけてきた。「スミマセーン」ではない完璧な日本語だった。なんかの勧誘か。訝しがる間もなく、男はおれの肩越しに後方を指差した。振り向くとそこに紙おむつみたいなものが転がっていた。訊き返そうと思ったときには、男は既に改札の外を歩いていた。仕方なく、その紙おむつのようなものに近付き確認して驚いた。
 それはなんとおれのスニーカー(NIKE AIR)の底だった。底がすっぽ抜け、おれは指摘されるまで気付かずにいたのだ。まあ、なんとみっともないことか。慌てて靴を突っ込んだが、どうやっても一体化しない。踏みつけたまま引きずって歩けばなんとかなるが、これはこれでみっともないし、階段の昇り降りも出来ない。背に腹は替えられず、おれは靴底をポケットに突っ込んでエスカレータを降り、電車に乗った。足の裏と文字通り革一枚コンクリートの冷たさがモロに伝わってきた。
 隣駅の改札を出るとすぐ横にコンビニがある。ゼリー状速乾という接着剤を買って、チューブ一本絞り出ししばらくこんなふうに立っておりました(鏡像を撮影し左右反転して使用)。

 今年になってこんな事故二度目。雨の中に接着剤を溶かすような成分でも混じっているのか知らん。

 この靴ももう履けないから、新しい靴を買わなくては。大散財だよ全く。
 しかし、焦りました。夢の中の困惑に完全に一致