獣どもの街 ジェームズ・エルロイ

 ジェームズ・ジョイスとジェームズ・エルロイ 日本語の頭韻

獣どもの街 (文春文庫)

獣どもの街 (文春文庫)

 エルロイが短編小説の名手でもあることは『ハリウッド・ノクターン』で明らかになったが、本作はちょっと毛色の変わった連作集になっている(文庫オリジナル)。エルロイの書く文章は、短く、直接的で、それが生み出すスピード感が凄まじい内容にマッチして、酔にも似た快感を与えてくれるのが特徴だ。『ハリウッド・ノクターン』の場合、疾走し過ぎて、これが長編としてじっくり書かれたらなあと思わせる作品があることは否めないのも事実だが。
 しかし、本書に収録された三篇では、この文体が短編に逆に厚みをもたせ、歯切れの良さを生む源となっている。主人公は悪徳警官のおれことリック・ジェンソンとマドンナ的存在の女優ドナ・W・ドナヒュー。大藪春彦の物語にカーター・ブラウンの小説の登場人物が飛び込んできたような“イカサマ感”が全編に横溢している。しかも、解説で杉江松恋が触れているように、短いセンテンス一つ一つに律儀に頭韻が仕込まれているのだ。翻訳はエルロイではお馴染みの田村義進だが、この駄洒落の羅列を無理なく日本語化しているのは、奇跡と言っていい。こうした語呂合わせを「訳注」で説明されながら読んだのでは、原作の持つ心地よいリズム感が台無しになるから、田村氏のやり方は本当にご苦労だけどベストのやり方なのだ。
 かつて翻訳家の別宮貞徳は某生物学の翻訳書の中にある、遺伝子について書かれた文章で、遺伝子のちょっとした組み合わせの違いで、バクテリアになったりラクダになったりするという言い方が、単なる洒落だと指摘した。つまり「BacteriaになったりBactria(フタコブラクダ)になったり」という語呂合わせ。別宮は原文の洒落を活かすなら「獏になったりテリアになったりバクテリアになったり」と試訳としている。この、註釈なしで原著のニュアンスを活かそうと試みた翻訳の労作に、柳瀬尚紀の『フィネガンズ・ウェイク』(ジェイムズ・ジョイス)がある。こちらは原著そのものが実験的な言葉遊びで綴られているため、それを日本語に落とし込んだ翻訳は大変に難解だ。原著も難解で知られた小説で、その難解さの一因がジョイスの造語だが、それを置き換えた日本語の造語が別の意味で難解な日本語にはなっている。しかし、それが同等の難解さなのかどうかは理解の範疇外だ。
 それとは別に柳瀬には特別な想い入れが二つある。一つはわが敬愛する筒井康隆との対談(『突然変異 幻語対談』)の中でこれまた敬愛する西脇順三郎の詩(『橋上』)を引いて筒井に素晴らしいと言わしめたこと(もっとも、素晴らしいが、それが物語ではなく詩であるということで、筒井は認めない)。もう一つは、柳瀬が『翻訳はいかにすべきか』の中で一つ勘違いをしている部分があり、それを出版社気付けの手紙で指摘したら、丁寧な礼状が返ってきたことである。
 

 閑話休題
 本作中一番のおすすめは「押し込み強姦魔」の一篇で、これはハードボイルドであると同時に、凄まじいバカミスになっている。確かに『LAコンフィデンシャル』のとてつもなく意外な犯人は、エルロイの本格ミステリ作家としての一面を如実に表していた。だから、とうぜんのことなのかも知れないけれど。

ハリウッド・ノクターン (文春文庫)

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フィネガンズ・ウェイク〈1・2〉

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翻訳はいかにすべきか (岩波新書)

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LAコンフィデンシャル 上 (文春文庫)

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LAコンフィデンシャル 下 (文春文庫)

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