性欲のある風景 梶山季之

 もう一つの李朝残影

 ああ、書き出しでまず悩んでしまう。
 そうなのだ。今は著者梶山季之が、どんな作家だったのかを説明しなければならない時代なのだ。でも、文学史を説くエントリではないし、説明したところで上っ面をなでるだけだろうからやめておく。このblogの趣旨は「書斎雪崩で再発見した書籍への想い」だし。

 おれにとって梶山季之の認識はエッチな小説を書く作家だった。とにかくやたらに売れていて、その名前を見ない日はなかった。餓鬼だったおれはエロ場目当てに梶山作品を立ち読みした。そうしているうちに、梶山が我が国におけるトップ屋ルポライター)の草分けと知った(おれも少し大人になっていた)。そして、トップ屋の世界を描いた『黒の試走車』を、遅ればせながら読み、その面白さに舌を巻いた。続けて『赤いダイヤ』や『夢の超特急』『夜の配当』を読んで、一気に大人の世界に浸かった気分になった。
 官能小説を低く見るわけではないが、梶山がかなり投げやりに書いていることは餓鬼でも理解できた。三島由紀夫自衛隊乱入、切腹事件が起きたとき、多くの作家が狼狽え、混乱して恐恐コメントしていた中で「オカマのヒステリー」と斬って捨てたのは青島幸男だったが、梶山は本業の中間小説の中で同様の意思表明をした。詳細は覚えていないけど、週刊誌に連載中の小説に突如、三島を思わせる人物を登場させ、その男がホモに強姦されるというような内容だったと記憶している。編集者もよく許したと思うが、それほど当時の梶山は売れっ子だったのだ。
 そして、おれがまだまだ餓鬼だった学生時代、梶山は急逝した。取材のための香港での客死だった。享年、45。45歳だったのだ。なんと大人だったことか。揺るぐことのない文士の風貌は今の作家に求もとむべくもない。だから、おれが、梶山の歴史小説に触れたのは、悲しいかな梶山の死後だった。
『性欲のある風景』は梶山の実体験を描いた短編小説。ところは日本統治下の京城(ソウル)、その日は奇しくも終戦の勅が発せられた8月15日だった。古今未曾有の発表が正午にあるとだけ聞かされていた中学生たちは、当然のようにその日も勤労動員の仕事に就くことになっていた。稚心を去れずにいた僕(梶山)は、遅刻ギリギリの常習者だったのに、一番に登校して「古今未曾有」を宣言しようとする。ところが同級生の優等生金本甲殖に、
「ひどく早いんだなァ。こんなの――古今未曾有と云うんだね?」
 と先を越されたために、計画を破棄し勤労動員をさぼることにする。さぼって映画を見ていたりしていた僕は、その日の夕刻、やはり同級生の久武から、日本が負けたと聞かされ、思わず殴りつけてしまうのだった。そして、現在(作品が書かれた当時)の日本で、戯れに友人と心理試験をしたときに、出された言葉は「終戦」だった。その言葉に僕は「牛」と答える。友人は笑ったが僕はそんな場違いの言葉の重要性に思い当たる。友人久武を殴りつけたもやもやした思いの正体は「牛」だったのだ。
 端正な短編ミステリを読む想いだった。「牛」がなにゆえ「性欲」に結びつくのか。そして、終戦(敗戦)直前の京城朝鮮人の風景。日本人の多感な少年はそんな環境でなにを想っていたのか。梶山31歳の傑作である。梶山の朝鮮を描いた作品には『李朝残影』がある。直木賞候補になりながら落選したという経緯があるが、これこそなんでまたと言いたくなる大傑作なのだ。この作が発表になる前年、梶山は『黒の試走車』を上梓していたから、選考会では、なにを今更という意見もあったらしい。酷い言い訳だ。
 後に梶山は古書業界に関わる『せどり男爵数奇譚』を発表した。当時「猟奇」を前面に押し出した書評にエログロイメージが付加されてしまったが、全くそんな作品ではない。主人公のせどり男爵・笠井菊哉は哀しいほど本に取り憑かれた人物として描かれていた。『性欲のある風景』『李朝残影』『せどり男爵数奇譚』耽美とも言えそうな、こうした美学が梶山が最も描きたかったものだったのではとも思えてしまう。
 凄まじい量の作品群に埋もれてしまってはいるけれど。

性欲のある風景 (河出文庫)

性欲のある風景 (河出文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

李朝残影 (講談社文庫)

李朝残影 (講談社文庫)

黒の試走車 (岩波現代文庫)

黒の試走車 (岩波現代文庫)