きまぐれ体験紀行 星新一

 JALパックのころ

 書斎雪崩発掘本。
 昭和50年代の初頭、著者星新一ソ連ソビエト連邦)を始め、東南アジア、台湾、香港、韓国を旅した紀行文集。今なら、ソ連はともかく、学生だってもっと面白いところを目指すんじゃないかと言えるくらい、ごく普通の観光旅行なんだけど、当時はこれが一冊の本になるくらいだから、海外旅行はさほど一般的ではなかったのだろう。それでも、フィリピンでは著者自ら「心霊手術」を施術され、その体験を綴ってSF作家の面目を躍如している(?)。星新一の文章は練達ながら、そっけないくらい感情を抑制したものだから、この神秘体験も、転んで膝を擦りむいたところにバンドエイドを貼ったくらいの出来事みたいな印象しか受けない。貪欲にその真偽を追求するなんて野暮なことはしないのだ。
 台湾、香港では著名な占い師に運勢を占ってもらう。これまた、当たり外れはごく普通のように書かれている。例えば香港の鉄板神数(鉄板とは算盤のこと)阮雲山の占いでは

「父は死去、母は存命と出ている」
 その通り。さっき私は両親のうち一方がいないと答えたが、どっちとは言わなかった。
「兄弟二人のうち、一人が名を高める」
 弟より私の方が有名のようでる。
                〜中略〜
「奥さんはトリ年で、女の子が二人……」
 なにもかも、ぴたりぴたりである。奇妙な感覚が、からだを走った。まさに、ふしぎとしかいいようがない」

 と、その能力を高く評価しているのに、さらにもう一歩突っ込んで、自分の運命を占ってもらおうとはしないのだ。飛行機の時間の都合を理由に切り上げながら

 くわしい予測をされたら、いやな予告を具体的な形で聞かされたかもしれない。つまり、いいひけ時だったわけである。ひょっしたら、私は運がいいのかもしれない。

 未来を知るのが怖いのなら、最初から運勢なんか占ってもらわなければいいのにと思わないでもないけれど、このあっさりぶりがいかにも星新一らしいのだ。
 韓国には田中光二を伴い、韓国通の豊田有恒の案内で出かける。当時、おれの印象では、韓国に対する偏見はまだまだ強く、積極的に出かけるのはノーキョーのキーセン観光くらいだったのではなかったか。豊田有恒はそんな時代に、韓国の良さを積極的にアピールする稀有な存在だった。韓国は素晴らしいを連呼するうちに(旅行後の鼎談形式で書かれている)

 まあ、淵源がどこにあったって、こっちが千年の歴史で、あっちが一万年の歴史でもそれは別にいいと思うんだけどね。そんなこと言いだしたら最後はアトランティスかなにかに収斂することになるでしょう。
田中 例えばアフリカのオルドバイに収斂される。
豊田 オルドバイまでいくな。オルドバイにいく話は、書いちゃったな、おれ。

 星の口調は大人しいが、前後の雰囲気からぶち切れたことは想像できる。田中がなんとかとりなして、豊田は必死で誤魔化したという印象だ。
 面白いのは韓流ブームの魁だった豊田が、この後、反韓流の先駆けになったこと。いずれも10年以上早く、先見の明というか早すぎたというか。