英国諜報員アシェンデン サマセット・モーム

スパイの小説

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

英国諜報員アシェンデン (新潮文庫)

 あのサマセット・モームの、スパイ小説として知らぬ者はいないだろうという名作。しかし、実際に読んだ方は意外に少ないのではないか。おれはガキの頃(高校生)EQMM中村真一郎が本書について妙な書き方をしているのに興味を惹かれて読んでみたのだが、すぐに挫折した。中村は冒頭、こんなことを書いていた。

 サマセット・モームの『アシェンデン』はスパイ小説である。――ということになっている。
 しかし、あれはスパイの小説ではあるが、「スパイ小説」ではない。

※収録本『決定版深夜の散歩』講談社 1978 P.177
 なんのこっちゃと思いながら、読み始めたのだが、本当に主人公はスパイだが、スパイらしい活躍もサスペンスも、当然ながらアクションもなにもない小説。なるほどこれが純文学ってやつかと、早々に投げ出した。思えば不幸な出会いであった。
 それを今回読み直したのは、毎度のことながら、我が敬愛する田中小実昌のこんな一文に触れたからである。

 サマーセット・モームに「アシェンデン」というスパイ短編集がある。スパイ小説だが、実に日常的で、そのため、かえってシニカルで、ほんとのスパイらしい人物が書いてあり、ぼくは大好きなスパイ小説だが、このなかに、「ヘアーレス・メキシカン」という短編がある。
 メキシコ人らしい底抜けに陽気な男で、あきれるほど酒を飲み、女にモテ、精力絶倫で、もとはメキシコの将軍だったというふれこみで、堂々としており、その偉風(ママ)におされて、鉄道の駅の駅長が、彼のために、列車を待たせておいたりする。(このあたり、ぼくの記憶違いかもしれないが)
 じつは、この男は殺し屋なのだ。こんな殺し屋は、ほかのひとの小説では見たことがない。ぼくが、「アシェンデン」が好きなのも、おわかりになるとおもう。

『コミマサ・ロードショー』田中小実昌 晶文社 1980
 なんとも魅力的な紹介ではあるまいか。実はこのヘアーレス・メキシカン、文字通り体に毛が一本もないスカル・マーフィーみたいな男で、それが俗称になっているのだ。前回読んだときには、当然「ヘアーレス・メキシカン」の手前で放棄した。これを読み直さないでおられようか。
 あ、ところで、小実昌さんの文章を読んでヘアーレス・メキシカンにどんなイメージを抱きました? おれは禿頭の肥大漢、パンチョ・ビラを彷彿とさせる陽気で残酷な男でバンバンピストルを撃ちまくる。
 ところが、大いなる勘違いが二つ有った。
 一つはこの『アシェンデン(主人公の名前)』短編集と紹介されているが、全編を貫く漠然としたストーリーの流れが存在する、いわば連作短編集。つまり『ヘアーレス・メキシカン』だけ読んだらわからない処だらけという状態になってしまう。目次を見ると、ちゃんと第一章から第十六章になっていて、長編の形式をとっている。『ヘアーレス・メキシカン』は第四章なので順次読み進めていったのだが――
 もう一つの勘違いはすぐに分かる。ヘアーレス・メキシカンは想像していたのとは全く違ったイメージの人物。背が高く痩せていて、とてもお洒落でマニュキュアをし香水の匂いを漂わせている。しかも、カツラを被っていて禿頭ですらないのだ。マカロニ・ウエスタンに登場するガハハ山賊みたいな人間を想像していたおれは拍子抜けした気分だった。
 しかし、読み進めていくうちに、おれは中村真一郎田中小実昌が言いたかったことがすんなり理解出来た。各章は短編形式だが、全体のストーリーに全く貢献しない物語もあるし、独立した中編もある。謎やどんでん返しで引っ張るような物語とはぜんぜん違う。絵に描いたような英国紳士で大使閣下のハーバート・ウィザースプーン卿が凄まじい過去を告白するエピソード、極秘の情報を得ながら遂に語ること無くアシェンデンの腕の中で息絶える老婦人ミス・キング。そんなエピソードの積み重ねは小実昌さんが言う通り「実に日常的で、そのため、かえってシニカル」なのでありますね。そして、ラストの哀しいくらいおかしな(バカバカしいと言ってもいい)、ある人物の死はこの小説の終わりに誠に相応しいものでした。
 さすがだね、モーム