喰いたい放題 色川武大

 夢の御馳走

 6年前に練馬に引っ越してきた。まず、見つけるべきは本屋と呑屋、それから食い物屋と八百屋魚屋肉屋の類。ところが、土地鑑は全く無いと来ている。そんなとき思い出したのが本書だった。著者色川武大は都心から練馬に引っ越してきて、まるで土地鑑のない地で近所をぶらつきながら良さげな店を何軒か見つける。そんな内容だった記憶があり紐解いてみたのだが。
 本書の単行本の発行が1984年、33年前。6年前でも既に27年前の情報なのだ。ここで紹介された食堂、中華料理屋、蕎麦屋、その他の店も皆魅力的で一度訪れたいと思わせるものばかりだが、時の流れは残酷で、現存するものは一軒もなかった。
 そんなことを思い出しながら、本書を再々読して驚くべき事実を発見した。
 著者色川武大(言うまでもないが麻雀の神様阿佐田哲也である)は健啖を以ってなる人物、四六時中空腹感を抱えている。さらに、ある事情から長時間の睡眠が出来ないため、空腹のまま寝入ってしまうこともしばしば。すると、当然のように御馳走の夢を見る。常人ならいざ食べようとしたところで目が醒めるのだが、色川氏は夢の中ですら、それらの御馳走をバリバリと食べてしまう。むろん、夢の中だから、紙を食べてるみたいに味がしない、文字通り味気ない。そこで目が醒めて実際に御馳走を――
「喰いたい放題」というタイトルから推せば、そんな大食漢の著者が景気良くものを食べる話かと思うだろうが、実はぜんぜん違う。本書で取り上げられるエピソードは、殆どが「ものを食い損なう」話なのだ。
 肉だ松茸だ鰻だと、うまきものこころにならべそれこれとくらべ廻しながら、ふりかけの備蓄が大量にあるためふりかけ飯を食い続けたり、湯檜曽温泉で蕎麦屋に入れば、何時間(!)も待たされる(遅くて有名な蕎麦屋らしい)。武田麟太郎の子息と呑みにいけば、最初に入った店の賄いの飯が美味そうと意地を張り合って飯だけ食べ続け、酒も食い物もなにも入らなくなる。すぎやまこういちと大阪旅行に行けば杉山氏は下戸で少食のため、全く食のリズムが合わなくなる。
 読んでいて気の毒になってくるくらい御馳走を取り逃がしてしまう。とここでふと思った。これこそが夢の中の出来事ではないのか。なにもかもお膳立てが出来ていながら、肝心の御馳走にはありつけない。著者が健啖であればあるほどその無念さ推して知るべし。
「喰いたい放題」とはその叶わぬ夢への想いなのかも知れない。そう思えば紹介されている練馬の飲食店、一軒も現存しないのも充分に納得できる。

喰いたい放題 (集英社文庫)

喰いたい放題 (集英社文庫)